すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

8/11

 友人から電話がきた。友達、と言える人からの電話はとても久しぶりのことだった。着信履歴をしばらくさかのぼっても見つけられないほどには。

 旅行に行こう、とのことだった。その友人とは、春先に北九州へ一緒に行ったTと、電話口の奥でけらけら笑っているE。

 私は予定に都合をつけることを約束した。一人旅でない場合、旅行はだれと行くかがとても重要になる。そういう意味ではなんらも憂いるところはなかった。お金を工面できるか、それを除けばだが。

 Tと話をするとき、私はすこし緊張する。彼は頭がいい、ということは前述の旅行の道中記を書いたさいにも挙げたことだったと思う。彼は会話に如才がなく、どんな話題のなかにも必ずユーモアを一振り、二振りすることを忘れない。受け取ったパスがすばらしいものであればあるほど、ゴール前では肩に力が入るものだ。

 非情に楽しみではある。しかし貧乏とは底なしに欲張りなものだ。私一人、まるで桃鉄のような感じで、貧乏神を引っ連れて歩くことになるだろう。

 

 ところで、ついに私は『失われた時を求めて』を読み始めた。

 時期尚早かとも思う。けれども、一度いま分け入らなくてはならないような気がした。図書館をうろついていた私の目が、ふいに、膨大な数の本のなかから最高の文学を示すそのタイトルに目をとめ、選びだしたのだ。それはもしかしたら、あのあまりに有名な紅茶とマドレーヌのいち幕で描かれた効果のようなものかもしれない。いずれにせよ、いつかは必ず読むと決めていたものだ。迷子になったらそれはそれで仕方がない。とにかく、開かれたのだ。

 いまのところ150ページほどしか読み進めていないものの、この小説がいままで読んだどの小説ともはっきり違う、けれどもその理由が判然としない異質なものであると感じる。

 しかしこの文庫で全14巻からなる超長編を読み終えたとき、自分のなかのなにか、それも根本的な部分でなにかが変化してしまうだろうという予感はおそらく外れない。それが終わりなのか、はじまりなのか、良いものなのか、そうでないのかは、いまのところ不明である。ただ、プルーストがおそろしいまでの強い引力を持つ作家であり、これがその作品であることはどうにも間違いなさそうだ。