すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

ぶらりぐだり北九州の旅 後篇

 大人三人が集っておきながら、出発予定時刻に遅れること三時間、チェックアウトの十分前になってようやく一人目が起床した。二人目三人目も眠たい目をこすりながら続く。どうも旅のプランはままならないのが常であるらしい。


 外に出ると雨が降っていた。四月の冷たい雨はところ変わらず九州にも降るようだった。空は薄墨色である。髪の毛がうねる。細い雨粒を路面電車が弾き飛ばして走る。
 レンタカーに乗り込んだ我々は、いつものようにさも当たり前といった風で、Eを運転席に、私を助手席に、Tを後部座席にすえて走り出した。目指すは馬肉。ひとまずの昼食である。Eはさっそく道に迷う。私は袋の中でぐちゃぐちゃになったコーヒーゼリーをなんとか食べる手段はないかと考える。Tは少年ジャンプを読んでいる。これでも一応みんな大人である。


 馬肉料理は絶品だった。東京のものとは違う。値段も違う。着物姿の店員に、窓の外には竹の葉。石原さとみ小栗旬らのサイン。知性溢れる美女に先生と呼ばれるいかにもなご老人。まずい訳がない。我々は馬肉のステーキや焼き肉に「なんか牛肉っぽいこれ。いいやつ。いいビーフのやつ」と一流の批評を下しながら舌鼓を打った。


 熊本城は立ち入り禁止だった。外堀の崩落が痛々しかった。前日にホテルでNHKの熊本大震災に関する番組を見ていたため、入れなかったのは残念だが、テレビの中にしか見てこなかった出来事の、その場所がすぐ近くにあることを実感できたのは特別なことだった。
 楽しみにしていた漱石の別邸は休館日だった。これは悔しかった。私の旅行の第一目的は漱石巡礼にあった。阿蘇山もその一環であった。しかし寝坊した我々に、阿蘇に赴く時間はなかった。
 しかたがないので、車で徘徊することにした。熊本の中央市街と阿蘇以外は思いのほか分かりやすい観光地がない。我々は「厚木を走っているのと大差ない。津々浦々そんなものかね」とまた身も蓋もないことを言いながらドライブした。話をして楽しい相手がいれば、そんな風景もまた一興である。一人で旅行をしているときにはせいぜい読書をする時間になるくらいなので、誰かと行く旅行の良さに私は感じ入った。免許返還とは縁遠いおばあちゃんの荒ぶる運転には笑った。おそらく還暦をゆうに越えているご老人が、隙あらば車線変更し、右車線で前の車をばんばん煽るのだからおもしろい。これも九州の毛色なのだろうか。


 初日から道行く人々を観察していたが、どうもファッションや雰囲気が関東とは違う。九州男児というものが体現されているようで、なんというか顔立ちもはっきりしている人が多く、男前といった感じである。女性は、ライダースやデニムジャケットに、おでこを出した髪型、赤い唇が多く印象に残っている。媚びたところのない、さっぱりした感じの美しい男女をたくさん見た。ぎゃあぎゃあ喧しくもなく、なんというか、どことなく芯が通っているように見受けられる。無論これは一例に過ぎないが、真実はどうあれ、普段みているのと同じようなものが急に違ってみえるのも、旅行の楽しみの一つである。

 

 

 Tは二泊で九州を過ごす予定で一日を残しているため、私とEとは熊本で別れた。
 どことなく安心した様子でお土産なんかを買い、最後に奮発してあか牛まで食べた我々は、あとは帰るだけと旅を締めくくった気でいた。
 しかし、この先で思いもよらぬ嵐にあった。
 まず、帰りの便が欠航した。我々は仕方なしに熊本市内に引き返し、夜が明けるのを待った。そして再び朝一のリムジンバスに乗り込み空港に向かったが、そこで見たのはふたたびの欠航の文字。我々は絶望した。次の便まで四時間ある。そこから先は思い出したくもない。ただただ待って、ようやく飛行機に乗ったものの、我々は満身創痍である。普段のおしゃべりも鳴りを潜めていた。ただ整然と思い返すことができるのは、空の上でみた青と白のみである。


 こうして私とEは結局、またも過酷な旅だったという思い出を第一に帰宅することとなった。後先のことは自宅の玄関に置いて有り金を使ったこの三日間、引っ越しを間近に控えた私には大打撃であることは間違いない。
 だが、それでもやはり旅行はあまりにも魅力的で、欲求を止めることは難しい。その証拠に、もう私の頭には、さて次はどこへ行こうかという考えが浮かんでいる。