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すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

トマト

血がゲシュタルト崩壊した。こんなにも、なんというか、間の抜けた文字だったろうかと頭をかしげる。血で血を洗うとか、血は争えないとか、血にまつわる穏やかじゃない言葉が世の中にはいくつかあるけれど、そもそも血の持つイメージが物騒だったりするけれど、いまの私の前にこの文字は、地面とその上に建立したビルディングとさらにその上から飛び出すアンテナの記号みたいに写る。血血血血血。これで丸の内の一角が完成する。

 

そもそもの話、まずゲシュタルト崩壊するほど血のことを考えたという過程があってのこの話である。血というか、正確には血液型である。

 

ここからが本番だ。

 前提として認めるべくは、血液型の話はあらゆる状況において盛り上がる会話の種としてその優秀さを発揮するということ。

ただこれほど不毛でくだらない話もない。

そもそも何型はこんな特徴があるだなんだと言うが、はっきり言ってどれもこれも人間に普遍的なことばかりである。人間の心が複雑怪奇であることを認めない者はいないだろう。だと言うのにわざわざ頼まれてもないのに四つの型のいずれか一つに人間を嵌めこみ、安易な仕分けに満足し人格を捕まえた気になるなんて馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。A型は几帳面、B型は天邪鬼、O型はおおざっぱ、AB型は二面性。そんなのどれもこれも、少なくとも私にはすべての要素が当てはまっている。なのにO型であることを仕方なしに自白すると、たしかにO型っぽいとかなんとか後付けで評してきやがる。どうせA型と言ってもB型と言っても、全てにそれっぽいと頷くばかりで真偽を見極めることなんて出来やしないくせに。そのくせO型であると事実確認がとれるやいなや、イコールで楽天的とか社交的とかおおらかとか部屋が汚そうとかそんなオプションを手前勝手に押しつけてくる。そんなもの、ある意味、とか、ある方面では、とか都合のいい方便を前置きすれば大抵どれかしらの要素には引っかかる。それでこちらから折れて「確かに言われてみればそうかもしれない」なんて当たり障りのない言葉を用いて必要のない気遣いを見せでもしようものなら、我が意を得たりとばかりに血液型の中に人間を所属させて大きな枠の中の一人に仕立て上げようとする。それで相性まで占おうって言うんだから、ほとほと呆れるばかりだ。ならば血液型うんぬん話してる時点で、科学的事実はどうあれ、そのお気楽ぶりは実にO型の要素に富んでいる。そしてO型には私が所属している。これだけでO型世界はもはや混乱必須のカオス状態だ。

 

つまりなにが言いたいかと言うと、なにが言いたいのか自分でもさっぱりわからん。おおざっぱのO型らしいから、まあこんなものだろう。

こんなことで千字以上も書けるのだから、もうなんでも書けそうである。

 

 

おちゃらけはここまでにして、すこし襟を正そう。

昨日今日と、また胸の奥が握りつぶされるような報道があった。広い世界のまたある場所では多くの血が流れている。流れる血は我々人類の血だ。赤黒い血で染まった大地が、血液型の話できゃっきゃする我々の足下と地続きにあると思うと、なんとも言えない気持ちになる。どうも血液型占いを信仰するのは世界広しと言えども日本人だけらしい。これは決して間違いだ変だと言っているわけではない。ただ、なんと言っていいか、ああ駄目だ、どうしても上手く言葉に表すことができない。

仕方ないから適当な言葉で紛らわそう。ちょうど手元に手頃な本がある。最後のページを開く。最後の文章を読む。

《世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。》

焦げる、焦げる。