すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

昨日、つけ麺を食べた。同僚のKさんの勧めである。

私はつけ麺に懐疑的な人間であった。手を替え品を替え、麺を使った料理は昨今、東西に氾濫しているが、中でも、味はラーメンのような、形式はざるそばのような、それでいて新しい存在であるつけ麺を、私は小学生の頃に大流行したカードゲーム「デュエルマスターズ」を一人頑なに拒み続けた気持ちにどことなく親近感を覚えるような心で敬遠していた。

いわば、つけ麺に迎合しないことは、私なりの消費社会に対する反抗の一形態であった。

 

そんな私の足は決して軽くない。胸に確かな声を有する人間は、ときに他人の目には頑固と映ずるほど、地に足がついているものだ。つけ麺などという彗星のように現れた人気者のあいつに浮き立つようなミーハーではない。子々孫々、侍の血統である。日出ずる国の男子である。蕎麦の子である。

ゆえに、私はつけ麺とここらでケリをつけることにした。Kさんも同行してくれると言うし、せっかくの機会である。私は巌流島に赴く宮本武蔵の、あるいは佐々木小次郎の心持ちで電車に乗り込んだ。

 

いざ目的地の高田馬場へ着くと、いるいる、四方八方どこを見渡しても胡散臭い顔である。つけ麺顔である。しかしこの顔の中に自分の顔もある。そうして他から見ると、ちょうど自分の眼前に同じ景色が広がっているのと一般に、なべて同一に見えている。これを意識すると、持ち前の神経過敏が活動して、なんだか気が滅入った。

決戦の舞台「鷹虎」は駅を出てすぐのところにあった。しかしことほど左様に、私の心は敵を前にしてすでに消沈している。虎も鷹も知らぬ。かわりにKさんは朗らかである。何度も繰り返し太鼓判を押している。Kさんは紹介の上手な人である。私が重い腰を持ち上げたのも、Kさんのプレゼン能力の高さに依るところが大きい。

少しの道のりと待機ののち、ようやっと目の前に麺とスープが並べられて、恐る恐るに私は箸をつけた。

すると箸はすいすい進む。止まらない。話をするのも大義である。美味い。めちゃくちゃ美味いぞ。食べるのがすこぶる遅いはずの私だが、文字通りあっという間に平らげてしまった。大変満足だった。店の外に出ると、不思議と空気は澄んでいる。往来の人々も行きとはまるで違う顔に見える。私は空腹だったのだろうか。だとしたら、空腹はいけない。お腹を空かした人がいなくならないのは、本当に心苦しく遺憾なことである。

一方で、私はまだ食べ足りない。この文章を書きながら、またすぐにでも食べに行きたいと考えている。支離滅裂な胃袋を恨む。

こうして私の偏見は敗北し、つけ麺とKさんの大勝利に終わった。この敗北を、私は快い気持ちで受けることができる。

 

食に限らず、視野狭窄に陥って物事の多様性を見失うことは自他共に損するばかりである。

そして美味の是非を共有できる人は、思うに、共通の趣味や話題を持つよりもぐっと親しみやすい。