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すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

開幕

2017年シーズンが開幕、今年も熱いプロ野球の季節がやってきた。

野球は面白い。サッカーやバスケットボールなどと比較すると、テンポが悪く冗長で飽きるという風な声をちらほら聞くが、我々野球ファンはその間にこそ緊迫のドラマを見て喜ぶ生き物だ。

私は小中と野球をやっていたが、はっきり言って当時は野球が大嫌いだった。声が小さいとそれだけで叱られて、子供心にも馬鹿らしかった。毎日辞めたいと思っていた。まるでやりたくなかった。ただやりたくないと言えなかったから、仕方なしにやっていただけのことである。当然すこしも楽しくなかった。

だが見るぶんにはこのスポーツを昔から好ましく思っていたようでもある。私は運動は可もなく不可もなくといったところだが、特別な才能を運動能力に有する人に対して、羨望と嫉妬の感情を持ち合わせていた。嫌いでも野球は曲がりなりにも自分が経験したものだから、上手な人の凄さを未経験の競技より親身に感じることができる。なにが凄くて、それが一見簡単そうに見えて実際どれだけ難しいのかを理解できるのであれば、感動もひとしおだ。自分を離れてしまえば、野球はスポーツというより、むしろ芸術だった。芸を磨いた一流の職人が集って表現するエンターテイメントである。これはただただ楽しめた。

私は徹頭徹尾一筋に横浜ベイスターズのファンであるが、これは完全に祖母譲りのものである。

祖母とはよく電車に乗り継ぎ、関内にある横浜スタジアムへ試合の観戦に行った。祖母は佐伯選手のファンだった。私は石井琢朗選手が好きだった。使いもしないのに、選手それぞれが各一枚ごとにプリントされた下敷きを買い集めていた。座席は決まって一塁側の中ほど。観戦中は帆立の貝柱を食べるのが恒例だった。この時間を少年の私は少年なりに大変愛おしく思っていたようである。思い出が不可思議な柔らかい膜に包まれている。その中に見える背の小さな私は祖母のとなりでとても幸福そうである。

ある日、関内の駅を降りたところに、屋台のような店構えで腕時計を売っているおじさんがいた。私はまだ幼く、ものの良し悪しを見極めることができない。激安特価!と銘打たれた1000円の、文字盤が青い銀色の時計を私は羨ましく見ていた。その涼しいコントラストとずっしりした重みが、私に「大人っぽくてカッコいい」と思わせた。しかし言葉にするのが苦手な子どもである。黙って、祈るような目で、午後の陽射しを受けてキラキラ光るそれをじっと見ていた。祖母はいつも私の気持ちを見つけてくれた。私はとても嬉しく腕に巻きついた重たい時計の、チクタク動く針の動きを何度も何度もしつこく見守っていた。だがやがて時とともに飽きが来て、どこか適当なところへ放り出したきりそのままにしてしまった。

 

2年前、その懐かしい時計を偶然見つけた。とうぜん電池は切れて、金具はところどころ錆びついていた。

私はしばらく野球から離れていたが、再び野球が見たくなった。すっかり弱小チームのレッテルを貼られていたが、去年ベイスターズは昔祖母と見た頃のような強いチームへと見事に返り咲いた。

祖母は最近足腰が悪く、潮風吹く球場の賑やかなベンチに座って試合を見ることは、恐らくもうできないだろう。

私は今年も強いベイスターズが見れることを願っている。