すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

健康

寒い日が続く三月の暮れ。春分を過ぎ、世間一般には春の認識である。しかしはたして春は来たのか、いったいどこに来たのか。花粉と冷たい空気だけが身にしみる今日この頃にふとそんなことを思う。

 

昨年末、ノロウイルスにかかった。

おろおろする一方で、水の他はしばらくなにも口にできず、大変苦しい思いをした。ようやく調子が回復してきたその隙を見計らって這々の体でコンビニに赴き、独り身の苦渋を舐めながらヤケになって大人買いしたウイダーinゼリーをようやくの思いで流しこんだとき、私は驚愕した。味がめちゃくちゃ濃いのである。

オードリーがオールナイトニッポンの中で、無人島でしばらく生活した後に帰ってきてラーメンかなにか忘れたがとにかく加工された食品を食べたらあまりの味の濃さに驚いたと、そのようなことを話していたことがある。現代に生きる人間の味覚は、過剰な化学調味料やなにかで慣らされている。とにかく、どうも健全ではなさそうだ。

私は決意した。暴飲暴食に手を振り、これからはロハスに基づく食生活を送らん、と。

 

時は変わって現在。私はお腹が痛い。とても痛い。原因がわからぬ。もしかしたら貧乏性に負けてタイムセール終盤に買った消費期限ギリギリの弁当を二つ一気に食べたせいかもしれない。

わからない。

人間の決意はことごとく弱い。いつか友人からこんな話を聞いたことがある。突然の猛烈な腹痛に襲われてトイレに籠城し自らの不幸を呪った彼は、神様に「もう二度と親の金でパチンコはしません。約束します。だから助けてくださいまし」と泣きついてその場をなんとかやり過ごしたが、後日けろっとお金を銀の玉に変えてしまった。そして案の定、銀の玉は銀の玉のままで終わったという。ここまで顕著な不心得者ではないと信じたいが、私も無心論者のくせ、苦痛に負けて都合よく神に祈ったりしたことがある。そこでなにかしらの誓いを立てた気もするが、いまとなってはすっかり忘れてしまっている。おそらく契約は履行されないままである。小川未明の童話世界だったなら、必ずや天罰が下ることだろう。

 

私は神経が過敏なためかすぐに胃腸が痛む。平常時はこれも敬愛する夏目漱石を悩ませた病状に似ていると一人解釈してむしろ肯定的に捉える我田引水ぶりを発揮しているが、いざ発症するとやっぱりただただ苦しいばかりである。

《痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時には只生きているのを慰安とせねばならぬ。》とこれは漱石の言葉である。

健康が塑性に反抗できるうちに健康でいられることの幸福を、引いてはなにごとも当たり前と思えるうちに当たり前の虚構を見破らなくてはならない。

 

さて、書いてるうちに腹痛も治った。お腹が空いた。インスタントラーメンとご飯がある。さっそく欲望と理性の分水嶺である。ロハスは天竺の如く遠い。