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すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

はじめに

これは訓練である。繰り返す、これは訓練である。

 

思い出す。すでにはるか遠くへと離れてしまった義務教育の時分、授業中に突然耳をつんざくような大音量でジリリリとスピーカーからけたたましくベルが鳴り響き、すると先生の合図で授業を放棄した生徒たちは一斉に机の下へ身を隠した。

朝礼のとき担任教師が「今日は避難訓練があります」などと平気な顔で予告するものだから、いざ始まってみても緊張感はもちろんない。どころか授業が中断され、むしろ喜ばしい気持ちにさえなる。

小さくうずくまって膝を抱えながら友達とニヤニヤ目配せなんかをしあっていると、ベルの音が止み、入れ代わりに大人の声がスピーカーから「これは訓練です」と告げた。頭を上げてなにごともなかったかのように着席すると、先生の顔はいたって真面目である。幼い自分にはこれが面白かった。

頭に防災頭巾をすっぽり被せながら「おさない・かけない・しゃべらない」の、いわゆる「お・か・し」を遵守しながらぞろぞろ並んで廊下や階段を歩き、頭巾にはさまれてへんてこな顔をしている友人を指さして笑った。

一つどころに集められた大勢の子供たちの中にいながら、授業がなくなって嬉しい気持ちと、もし実際に避難するような事態が起きたらというかすかな不安と、私の頭にはこの二つがあった。しかし帰りがけに配られた非常食を、私は帰宅するなりすぐに食べてしまった。

話は早速道草をくったが、つまりこのブログは、いつやってくるとも知れない、というかいつか来るようにと願ってやまない本番にむけて、とても軽い、ほとんどのらくらの気持ちで臨む訓練である。昔と相変わらずの胸中ではあるが、歳をとった今、せめてカンパンくらいは家の中にきちんと積んでおこうという算段である。

 

さて、なにを言っているのか、自分でもまるで見当のつかぬ話から始まった当ブログだが、ことのきっかけは最近にメイ・サートン著『独り居の日記』や、向田邦子三浦しをん氏のいくつかのエッセイを楽しく読んだことに発する。

これらの才能溢れる女史の作品を受け、安易な人間である私は「なんかこういうの俺も書きたいんですけど!」と思った。それには書いてみる必要がある。そして書いている。絶望している。こういう顛末である。

 

しかしそもそもきちんとブログを書くのは初めてのことで、なにを書けばいいのか、こんな風に表も裏も空っぽな感じでいいのか、どうも分からない。SNSに一言投稿するにも緊張してしまい、なぜか知り合いの投稿にも身が強張り、結局偉い人だけフォローしてただ流れてきたありがたい言葉を頂戴するだけの私である。一つの文章を書くごとに、「かぁー、目も当てられん。下手くそなくせに得意になって、さらにそれを自嘲してみたりして。まったく恥ずかしい奴め」と自意識からつつかれる。嫌になる。しかしこれは前述のように訓練なので「たとえ恥を晒していようとも、決してやめるわけにはいかないのだ!」と自分に言い聞かせる。どこぞの人気アーティストの一員よろしく、胸に手を当て「ぜってー負けねえー」である。馬鹿にしてるわけではない。空虚な一人芝居である。

 

グダグダしてきたので、ここらでひとまずお開きにしよう。三日坊主にならないよう努力する。毎日の更新は義務としない。気分が乗ったら書く。教育方針は「のびのびすくすく」である。馬鹿っぽくてお誂え向きである。どうせ自分の自分による自分のためのブログだ、右に行くにも左に行くにも私の勝手であろう。