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すいません、ビニールありますか。

常ならぬ日々のこと。見聞きしたあれやこれやについて。平成生まれ。男性。東京都在住。フリーアルバイター。やや乱視ぎみ。

わが青春の名はaiko

 人には好き嫌いがある。関心の有無がある。

太宰治?はいはい、それって『羅生門』書いた人っしょ?」――よろしい。

イングマール・ベルイマン?だれそれ知らね、サッカー選手?」――結構。

「ハウス・オブ・カード?ロイヤルストレートフラッシュ的な?」――……。

とまあ、自分の好きなものをああだこうだ言われたところで、内心残念に思うくらいのもの、本気で喧嘩をふっかけるようなことはもちろんしない。人間の感性は千差万別、当然のことである。

 

 しかし例外はある。

aiko?ああ、『カブトムシ』の人ね(笑)もう四十くらい?まだ恋愛の曲歌ってんの?(笑)」

私は思わず言いそうになる。――てめえのそのじゃがいも頭かち割って中の脳みそストローでちゅーちゅー吸うぞこのガーキー。

 これは小学生の時分、同級生の千葉くんが早口でまくしたてていたお決まりの煽り文句である。千葉くんは頭は良いが変人だった。千葉くんは私のことを苗字の後に、けん玉ケンタロスケーキ毛糸、と本名に寄せてわざわざ長ったらしい名前を付けて呼んでいたのだが、そんな彼はいまどこでなにをしているのだろうか……。

 閑話休題

 私はaikoに対して舐めた口を利く輩が大嫌いだ。あえて言おう。aikoの天才を理解しないバカたれは、そもそも音楽はおろか、どうせあらゆる方面においてセンスがない。この時点でもうなにを語っても無駄である。だれがなんと言おうが音痴のハンコを私が押してやる。ここに限って私は独裁体制を敷く。反対の意を唱えるものは前に出よ。懲役6時間、私の部屋に閉じ込めてライブ映像をコマ送りでみっちり鑑賞させてやる。

恋愛の曲ばかり?上等じゃないか。優れた芸術家というのは一つの主題を生涯かけて表現し続けるものだ。それがもっとも切実だと作り手が思うから、嘘がなく、身にせまり、受け手の胸を打つものを創ることができるのだろうよ。

かくいう私も凡庸な人間だからたぶんあんまりよくわかっていないのだろうけれど。

 

 aikoの語り口は極めて豊富である。ライブパフォーマンス、aiko節、ブルーノートスケール、詞先、ワードセンス、ストーリーテリング。どれをとっても鼻息は荒くなるばかりだ。

 

 aikoとの出会いは高校二年生の夏。FFCCリングオブフェイトのテレビCMで流れた『星のない世界』を初めて聞いたとき、私の耳は釘付けになった。もう一度CMを見たいがために、テレビの前に座り込んで何度もチャンネルをぐるぐる回した。翌日には七枚目のアルバム『彼女』が部屋のコンポから延々流れた。ここから先は雪だるま式である。

 同級生の女の子の気持ちもわからない男子高校生が、aikoのあべこべな天邪鬼的世界を理解するのは困難である。いまなお共感することはなかなかに難しい。何百回も聞いてるはずが、いまになってようやく気付くメタファーもある。一見簡単そうに見えて、その実めちゃくちゃ奥行があるのは、あらゆる分野における一級品の芸術に通底することだと思う。

 たった5分あまりの時間に、aikoは見事なドラマを演出してみせる。想像力が加速する。aikoの歌う「あなた」や「君」の中に自分を投影して、舞台の上へ立った気になれる。すると見えてくる。明るくって暗い。楽しくって哀しい。これがaikoの世界で、これは自分たちの世界である。

 

 さて、ようやく序章の一端を語り終えたところだが、これではきりがなさそうだ。仔細にaikoを語ろうものなら、もはやブログの名前そのものを変えなくてはならなくなるだろう。

 そもそもの話、私の人生からaikoを切り離すことはできないのだから、思えば、aikoを語りつくそうとすれば自然、自分の人生の多くを語る必要に迫られる。なので小分けにして、これから都度、話の要所要所で折り込んでいくことにしよう。どうせいつまでたっても、私のaiko熱は一向に下がらないのだから。